情シスの車窓から

日常に感じたこと、徒然なるままに。

お遊戯会と複雑な思い

子供のお遊戯会の発表があったので、見てきた。

 

自分の子供の成長に感動した。

コロナでここ数年まともにお披露目する機会もめっきり減っていた為か尚更そう感じたのかもしれない。

 

さてうちの子のクラスではなく、5歳児クラスの発表である。

卒業を控えた子供たちの虹の合唱にひどく感動し、また、複雑な思いが駆け巡った。

 

この子供の一生懸命さというのは、恐らく数か月毎日反復練習を行い、本番で披露した結果である。

 

この意味も分からずひたむきに一生懸命練習して保護者の前で披露した、この行為にいたく感動した。

相手が子供だからか?いやいや、スポーツ選手でも一生懸命している姿は見ていて心地

よい。

 

また別の感情も同時にスーっと出てきた。

ウクライナの子供たちの姿である。

 

地下シェルターでクリスマスを祝っていたあの姿。

その姿が脳裏に出てきて、今目の前にいる、ひたむきな子供たちへの気持ちが揺らいだ。

 

同じ年頃の子供たちでも、大人の行為によって・・・

 

運命という言葉で片付けるのは簡単である。

 

デヴィ婦人の支援物資を届けるためのウクライナ訪問に対して政府は、いかなる理由であれ渡航は避けていただきたいと。

 

本音と建前、立場、人間の大人という不完全な生き物を露呈する良い機会であっただろう。