情シスの車窓から

日常に感じたこと、徒然なるままに。

わたしの実家

今週のお題「わたしの実家」

 

私の実家には今、祖母と両親が住んでいる。

 

実家にいた頃を思い出すと、やはりおばあちゃんと過ごした時間が目に浮かびます。

 

両親共働きだった。

学校帰りのおやつはいつも、おばあちゃんが作ってくれた焼きおにぎりや、焼き餅、ふかし芋に、蒸したとうもろこしだった。

 

当時はそれが嫌で嫌で•••

 

いつもうちで親友(奥ちゃん)と一緒におやつを食べてから、塾やら、そろばんやらに通うのが通例だった。

 

 

奥ちゃんは美味しいって言ってくれていたけど、私は奥ちゃんの家で出される、ポテトチップスやら、お母さん特製のプリンやら、上品なお皿に出てくる冷たい水羊羹に憧れていた。

 

 

今思うと、奥ちゃんちは核家族で、おばあちゃんの『手作り』に憧れていたのかもしれない。

 

私も今振り返れば、とても贅沢な時間を過ごしていたと思う。

 

おばあちゃんは、休みの日の昼ご飯でも昔ながらの中華そばや、あべがわもちや、慣れないカレーや、焼きそば等々作ってくれていた。

 

小さい頃は、駅で瓶のコーヒー牛乳を一緒に飲みに行ったり、ビックリマン箱買いしてくれて、私はシールを確保、お菓子は頑張って食べてくれていた。

 

また、社会人になっても、革靴を磨いてくれたり・・・

脳出血で倒れた朝も、自分の心配しないで私に

「〇〇ちゃん、ごめんね、お弁当作れなくなっちゃって・・・」

と私のことを気遣っていた。

 

人生には自分の好きなように生きる人生と、人(物・環境等)のために尽くす人生(寄付やボランティア・環境問題対応等)があり、両者のはざまで生きている人がほとんどなんだろうけど、おばあちゃんは間違いなく、人に尽くす事を生きがいにしている人だ。

 

亭主関白なのは大正・昭和と激動の時代を生きてきた女性の生き方(時代)なのかもしれないけど、人に尽くす事・ちょっと恥ずかしいけど無償の愛のような考え方はおばあちゃんから学んだ気がします。

 

本当に感謝しかないです。

 

今年で97歳。これからも元気でいてほしい。