情シスの車窓から

日常に感じたこと、徒然なるままに。

老害の恐ろしさ

老害・・・

この言葉が世に出始めたのは2000年台?2010年代?か。

少なくとも1990年代には聞こえてこなかった。

 

老害 - アンサイクロペディア (uncyclopedia.info)

 

 

鈴木おさむ氏が放送作家を引退するらしい。

 

こういう言葉を聞くと、ハラスメントと似たような感じがするが、会社での会話が恐ろしくなる。

 

言葉は何よりも攻撃力のある武器である。

あるいは、ひのきのぼうよりも軟弱にもなる。

 

うちの会社でも役職が上になればなるほど、女性に対してや、上司に対して言葉を選んで会話していて、私からみると非常につまらない会話である。

 

思ったことが言えない、そうまさに日本人の会社の典型的な例なのであろう。

 

wikiでこの老害の1つ目の原因に上がっている過去の栄光にしがみつくという言葉。

本当にこのどうでもよいプライドや経験を頭のすみに置いている上司が多いから、

部下が自慢話を聞かされて、世間のサラリーマンはペコペコして聞いているのである。

 

あぁ、米国人がこの日本人的問題を知ったとき、どれほど馬鹿にされるだろうか。

 

自分も頑固・硬直的考え方にならぬよう、身を引き締めるのみである。

 

最後にエコノミスト門倉氏のコメント。

 

老害」を「硬直的な考え方で組織の活力が失われること」ととらえるのであれば、変化のスピードについていけなくなっている人、「老害」の定義に当てはまる人は、あらゆる世代で増えているのではないか。

 

これを世代間の対立としてとらえて、上の世代が下の世代に遠慮しても、組織の活性化にはつながらない。

 

企業が変化の激しい時代を生き残るには、あらゆる世代の社員が固定観念にとらわれることなく、柔軟な発想で物事を解決していく能力を高めていくことが重要なのではないか。